マリンバという楽器を弾くとき、私たちは常に「左右のバランス」という課題に向き合っています。右手と左手。二本の腕を、いかに一本の線のように、あるいは独立した二人の演奏者のように操るか。それは打楽器奏者にとって、一生をかけて追い求めるテーマかもしれません。
今でこそ私は講師として生徒たちに「基礎練習の大切さ」を説いていますが、振り返ってみれば、私自身の演奏概念がガラガラと音を立てて崩れ、そして再構築されたのは、大学に入学して間もない「ある日の景色」からでした。
1. 疑いもしなかった「右から」という法則
大学に入学し、より高度な楽曲に挑戦し始めた頃のことです。ある曲の練習中、どうしてもスムーズに繋がらない箇所がありました。それはトレモロ(ロール)から次の音へ移る瞬間の、ほんの一瞬の「淀み」でした。
トレモロは、マリンバにおいて音を長く響かせるための命ともいえる技術です。当時の私は、何の疑問も持たず、トレモロは常に「右手」から始動し、終わるときも帳尻を合わせるように右手が主導権を握っていました。つまり、無意識のうちに自分の中で「トレモロは偶数で打つもの」というルールを作っていたのです。
何度練習しても、次の音への移動がギクシャクする。そんな私を見かねて、一人の先輩がアドバイスをくれました。
「ここだったら、5つトレモロを入れて、次の音は左手から入るかな」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分の耳を疑いました。 「5つ? 奇数で打つの? しかも、次の音を左手から始める……?」
それは私にとって、天動説を信じていたところに地動説を突きつけられたような、まさに青天の霹靂とも言える衝撃でした。
2. メトロノームとの、孤独で新しい格闘
なぜ、それほどまでに驚いたのか。それは当時の私が、あらゆるフレーズを「右手始まり(右手主導)」でしか考えていなかったからです。偶数で刻めば、次の小節の頭や大きなアクセントは必ず右手に回ってきます。それが自分にとっての「正義」であり、唯一の安心材料でした。
しかし、先輩の教えは、その安心感を根底から揺さぶるものでした。 その日から、私の練習室にはメトロノームの無機質な刻みと、それに対する私の困惑した打音が響き続けることになります。
一拍の中に5つの音を入れる。 1、2、3、4、5、……次。 この「5つ」という数字が曲者でした。5つ打ち終わった瞬間、次の音を叩くべきスティック(マレット)は、必然的に「左手」になります。
それまで甘やかされていた私の左手は、急に主役に躍り出ることになり、パニックを起こしたようでした。右手と同じような音量が出せない、タイミングが微妙にズレる、拍の感じ方がどこか不自然になる。基礎練習というものをそれまであまり重要視してこなかったツケが、一気に回ってきたような感覚でした。
「左手が、思い通りに動かない」
そのもどかしさと悔しさは、今でもマレットを握る掌の感覚と共に鮮明に蘇ります。音階練習一つとっても、奇数で交互に拍を感じるという作業は、脳の回路を新しく書き換えるような、非常に根気のいる作業でした。
3. 小太鼓が教えてくれた「均等」という美学
この気づきを機に、私の音楽生活は大きく変わりました。マリンバだけでなく、改めて小太鼓(スネアドラム)の基礎練習にも没頭し始めたのです。
それまでの私は、3拍子や7拍子といった変拍子、あるいは奇数の連符に対して、どこか苦手意識を持っていました。しかし、基礎の基礎であるスティックコントロールから見直し、あえて奇数のルーディメンツを取り入れることで、私の左右の腕は、少しずつ「対等なパートナー」へと近づいていきました。
奇数の練習の最大のメリットは、両手のバランスが劇的に改善されることです。 右が強すぎれば5つ目の音が崩れ、左が弱ければ次の小節の頭に力が入りません。左右の力の差を限りなくゼロに近づけ、どちらの手からでも自由にフレーズを始められるようになること。それが、単なる「音を出す作業」を「音楽を奏でる表現」へと昇華させる鍵だったのです。
「基礎練習こそが、自由への最短距離なんだ」
大学時代のこの時期、私はつくづくそのことを思い知らされました。華やかな曲を弾くことよりも、一拍の中に均等に音を並べることの難しさと、その先にある表現の広がり。地味で単調な練習の繰り返しこそが、マリンバの鍵盤の上で自由に羽ばたくための翼を授けてくれるのだと。
4. 講師としての今、生徒たちに伝えたいこと
時が流れ、今、私は教える側に立っています。 かつての私と同じように、右手に頼りきりになってしまっている生徒や、トレモロの繋ぎに苦労している生徒に出会うたび、私はあの日の先輩のアドバイスを思い出します。
「左手から始めてごらん」
生徒が驚く顔を見るたびに、私は心の中でニヤリとしてしまいます。それは単なる意地悪ではなく、その驚きの先に、どれほど豊かな音楽の世界が待っているかを知っているからです。
基礎練習は、ともすれば退屈で、孤独な時間かもしれません。しかし、メトロノームと向き合い、思い通りに動かない左手と対話する時間は、決して裏切りません。奇数の拍を感じ、左右のバランスを整えることは、単なる技術の習得ではなく、自分の身体の可能性を広げるプロセスなのです。
私が大学時代に経験したあの「5つトレモロ」の衝撃。それは、マリンバという楽器を通じて、物事を多角的に捉え、自分の限界を突破することの楽しさを教えてくれました。
今、私の前でマリンバに向き合っている生徒たちにも、いつかその「開眼」の瞬間が訪れることを願っています。そして、そのための伴走者として、私は今日もまた、基礎練習の大切さを、心を込めて伝え続けていくつもりです。
あの日の先輩に、そして思い通りに動かず苦労させられたあの頃の私の左手に、今の私は心からの感謝を送りたいと思います。

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