言葉を超えた「espressivo」――カナダの青年と過ごした、表情豊かな時間

大田区・蒲田にある創業70年の音楽教室、蒲田音楽学園です☺

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本日はチェロのレッスンを担当してくださっている木村先生よりいただいたブログをアップいたします✨


カナダで学生をしている娘から、「1月に彼氏が日本語学校に通うから、2週間だけうちに泊めてほしい」という連絡が来たとき、私の心は穏やかではいられませんでした。チェロの講師として、また演奏家として、日頃から「表現」については人一倍考えているつもりでしたが、プライベートでの「異文化コミュニケーション」となると話は別です。

私は英語もフランス語もさっぱり。もし家の中で二人きりになったら、一体どんな顔をして、どんな言葉をかければいいのか。「え〜、どうしよう……」と、まるで難しい新曲の楽譜を渡されたときのような戸惑いを感じながらも、日々のレッスンの忙しさに紛れて、その悩みは心の隅へと追いやられていました。

しかし、カレンダーのページがめくられるのは早いものです。気づけばその日はやってきました。結局、宿泊先は別に決まったとのことでしたが、友人も一緒に日本へ来ているという話になり、「それなら一回くらい、みんなで夕飯を食べよう」と誘うことになったのです。

待ち合わせに向かいながら、私は少し緊張していました。案内したのは、銀座にあるような背筋が伸びる名店でもなく、かといってチェーンの回転寿司でもない、地元の人に愛されているごく普通のお寿司屋さん。カウンター越しに大将が威勢よく迎えてくれる、そんな気取らない場所です。

そこで出会ったのが、娘の彼氏の友人、ラファエル君でした。 20歳のイタリア系カナダ人。これからファッションの学校へ通うという彼は、私の想像していた「学生さん」のイメージを軽々と飛び越えていました。耳にも鼻にもピアスが光り、腕には見事なタトゥー。フランス語と英語を混ぜながら、とにかくよく喋る。一見すると、クラシック音楽の静謐な世界とは対極にいるような、エネルギッシュな若者でした。

ところが、席に着いた瞬間に私の先入観は崩れました。 彼は驚くほど自然にお箸を手に取り、背筋を伸ばして「いただきます」と言ったのです。その一言に込められた、日本の文化に対する素直な敬意。チェロを構えるときの「基本の姿勢」が音色を決めるように、彼のお箸の持ち方や挨拶の仕方に、彼自身の真っ当な人間性が透けて見えた気がしました。

そして、宴が始まると、そこは言葉を超えた「表現」のオンパレードとなりました。 彼がお寿司を一貫、口に運んだ瞬間のことです。目を見開き、とろけそうな表情を浮かべ、言葉にならない喜びを全身で爆発させました。「Delicious!」という言葉さえも、彼の表情に比べれば付け足しのように思えるほど、その一挙手一投足から「美味しい」という感情がダイレクトに伝わってくるのです。

圧巻だったのは、ワサビの洗礼を受けたときでした。 予想以上の刺激に、彼の顔は瞬く間に真っ赤になり、鼻を押さえて悶絶しています。涙を浮かべながらも、その直後には「これはすごい!」と言わんばかりに大笑いする。その一連の流れは、まるでヴィヴァルディの『四季』のようにドラマチックで、めまぐるしく変化する表情の連鎖でした。

その時、私の頭の中に、チェロの楽譜で何度も目にしてきた、あの言葉が鮮烈に浮かび上がりました。

「espressivo(エスプレッシーボ)」

イタリア語で「表情豊かに」と訳されるこの指示。 私は普段、生徒たちに「ここはビブラートを少し深めに」「旋律をたっぷりと歌い上げて」と、技術的なアドバイスとしてこの言葉を使っていました。しかし、目の前で感情を全開にしてお寿司を楽しむラファエル君を見て、私はハッとさせられたのです。

「espressivo」とは、単に音を揺らすことではなく、内側から溢れ出す感情を、フィルターを通さずに外へと放出することそのものを指すのではないか。陽気な人、という言葉だけでは片付けられない、その生命力に満ちた表現。それに引き換え、私たち日本人は、そして私自身の演奏は、どれだけ感情を抑え込み、表情を薄くしてしまっていたのだろうか……。

技術が先にあるのではない。伝えたい「心」が先にあって、それが身体を突き動かす。20歳の青年が見せた、ワサビに涙するほどの素直なリアクションこそが、音楽において最も大切な「表現の原点」だったのです。私は、音楽で、チェロでもっと色々なことを表現できるはずだ、と確信に近い感覚を覚えました。

数日前、彼らは無事にカナダへと帰っていきました。 あれほど不安だった言葉の壁も、終わってみれば心地よい刺激でしかありませんでした。私は今回の経験を経て、「よし、これを機に英会話を習おう!」なんてことは、決して思いませんでした。

なぜなら、言葉が通じなくても、伝わるもの、通じ合えるものが確かにあるのだと知ったからです。笑顔、驚き、美味しいという喜び。それらは、どんな流暢な外国語よりも雄弁でした。

「言葉なんて通じなくていい。通じるものって、あるのだ」

そう確信できた1月でした。

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