大田区・蒲田にある創業70年の音楽教室、蒲田音楽学園です☺
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日本では、マリンバに先立って、木琴が広く普及しました。1910 年に日英博覧会に派遣された陸軍戸山学校軍楽隊が持ち帰ったストローフィドルが日本の木琴のはじめといわれています。1915 年には、日本楽器製造株式会社(1987 よりヤマハ株式会社、以下「ヤマハ」と略)が日本国内で初めて卓上木琴を製造し(石原 2018, 21)、その後、平岡養一(1907-1981)や朝吹英一(1909-1993)といった木琴奏者が、ラジオ放送や演奏会で活躍しました。
1947 年の「学習指導要領(試案)」では、小学校 3 年生の楽器の選択肢に木琴が挙げられ(文部省 1947, 18)、その結果、木琴の製造会社が急増しました。1948 年の文部省の資料には、次の 13 社が記載されています:東京シロホン製作所、東海楽器製作所、水野楽器製作所、日本教育楽器製作所、コッス産業株式会社、SM シロホン研究所、河合楽器製作所、川田楽器研究所、宇陽教材製作社、日本文化教具株式会社、吉田楽器店、トキワ木琴製作所、山口木工製作所(教育音楽協会 1949, 32-33)。この他にも、1945 年 10 月からヤマハが戦争で途絶えていた木琴の製造を再開(井上 2018, 142)、1947 年には斎藤楽器製作所(石原 2018, 21)、木材会社最大手の日本木材工業なども卓上木琴製造に乗り出しました(Ochi 2016, 41)。そして 1949 年福井県鯖江市では、こおろぎ社が教育用卓上木琴の製作を開始し、1953 年には立奏木琴の製造も開始しました。
(こおろぎ社は、蒲田音楽学園に設置されているマリンバの製造会社です。)
マリンバが初めて日本にもたらされたのは、以上のように学校教育により一気に木琴が普及した時期でした。1950 年にアメリカの福音派プロテスタントの布教活動の一環としてラクーア音楽伝導団 Lacour Musical Evangelistic Crusade が日本を訪れ、130 の都市でマリンバの演奏と共に布教活動を行いました(石原 2018, 22)。このことがきっかけになって、日本ではマリンバが広く知られました。そして、それまで木琴を製造していた会社がマリンバの製作を始めたことで、マリンバが急速に日本で普及発展することになりました。
〈参考文献〉
・石原有希子 2018 「安倍圭子のソロ・マリンバ作品――創作スタイル、奏法、および
音楽語法的特徴の考察――」 平成 30 年度エリザベト音楽大学大学院博士学位論文。
・井上さつき 2018 「戦後の器楽教育と鍵盤楽器産業」『愛知県立芸術大学紀要』 141-
153。
・Ochi, Megumi. 2016. “One Hundred Years of the Concert Marimba:American and Japanese
Innovation and Convergence,1915 to 2014”. Doctor of Musical Arts Dissertation, Washington University.
・教育音楽協会(編) 1949 「文部省教育用楽器審査会審査済みの教育用楽器一覧表」
『教育音楽』2 月: 31-33。
・文部省 1947 「学習指導要領 音楽編(試案) 昭和二十二年度」 東京:東京書籍 株式会社。
(執筆:横地ちひろ)
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